信長は誰からも愛されない。誰も信長を信じない。誰も信長を必要としない。すべてに利用され、そして死んだ。
『二人の天魔王「信長の真実」』
明石散人著 講談社文庫
歴史が好きである。
それは小学生の時、休み時間にずっと偉人伝記を読んできたからであろう。
あまりにも夢中になり授業開始のベルが鳴っても気づかず、不審に思った同級生全員が私を捜索し、図書館で発見されたということがある。
あまりまわりの人とは趣味が合あわない私ではあるが、この歴史好きというのはどこにでもそこそこはいるようで、他人とわかりあえる数少ない趣味となっている。
だが、ゲームの影響だろうが日本史好きというのはたいてい戦国時代好きであり、他の時代には詳しくない。
いや興味がないと言ったほうがよいのか。
室町時代などせいぜい足利義満まで、という人が多い。
これはもったいない。
室町時代は皇国史観の影響で冷遇されてきたが、実はとてもおもしろい時代なのである。
本書は、天魔王と呼ばれた男織田信長をもうひとりの天魔王足利義教と比較し、新しい信長象を映しだした書である。
信長の真実というサブタイトルが付いてはいるが、主役は足利義教といっていい。
この足利義教、信長をおしのけて主役を張るほどのものすごい人物なのである。
いわば織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の師匠なのである。
義教とはどんな人物なのか。
「比叡山攻め」「南朝殲滅」「関東平定」「宗教界制覇」「九州平定」を成し遂げ、わずか13年で奥州から琉球まで制圧した。
これが彼の業績である。
どれをとっても偉大なことだがこれをひとりの人間が成し遂げたのである。
業績だけを聞いただけでも彼が日本史史上屈指の英雄であったことが分かる。
だが義教が偉大なのは結果を残しただけだからなのか。
では、義教のもっと深いところを見てみることにする。天魔王と呼ばれた義教である。
義教が天魔王と呼ばれるようになったのは、義兄の日野義次が自分は将軍の義兄であると声高に吹聴したため所領を没収し閉門を命じたことと、
そして義次の実妹で義教の室の重子が7年目にしてようやく嫡子(義勝)を出産したとき、そのことにより義次への罰が解かれるだろうと思い義次の家へ祝賀にいった人をひとり残らず厳罰に処した事による。
普通将軍の義兄で次期将軍の祖父ともなれば栄耀栄華を極めることになるのだが、この義教の処置により当時の日野家は惨憺たるものだった。
これは義教が権力は「純粋に個人のもであり係累に及ぶものではな」く将軍ひとりにのみ存在すると認識し、「将軍の権勢を何人も利用してはならないと考え」たのである。
この義教の姿勢を著者は高く評価する。
「今の世でも、権力者の家族、親戚、親友、忠実なスタッフ、たったこれだけの理由であたかも自分も権力者になったかのように錯覚し傲る人が多い」からである。
よく独裁者の孤独という。
私はこれを当然と思う。
権力者は絶対的な孤独でなければならない。
誰より愛する家族であろうが信頼するスタッフであろうが、自分以外の者であるという点については、赤の他人と一緒である。
考えてみるといい。
権力というものが一義的ではなかったとき世の中はどうなったか。
格好の例がある。足利義政の治世である。
義政は父義教と違い政治力はなかった。ゆえに権力は日野富子、細川勝元、山名宗全など多くの者が持つこととなった。
その結果どうなったか。
応仁の乱が起こり京都は灰燼と化した。
絶対的な権力を持つ義教が赤松満祐に殺されず、生きのびていれば応仁の乱は起こらなかっただろう。
「己はこの世の中のたったひとりの己である」
今の世の風潮では孤独を完全な悪と糾弾する。
成功者の奇行をあげつろい、やれ家族の愛が足りなかったのだ寂しい人生だのいう。
だが孤独だからこそ成しえるものがあるのだ。
物事は単純に割り切れるものではない。
孤独にも善と悪の両面があるのだ。それを自分の考え方にあうほうだけをと、自分の思考の範囲外だからと片面のみの効用しか認めないのは狭い了見としか思えない。
人間とはそう単純なものではないのである。
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